待ち合わせまで微妙に時間があったので、古本屋の木犀堂に寄ってみる。山室静訳のヤコブセン全集があったので、心を奪われる。リルケが絶賛してやまなかったデンマークの作家。「マルテの手記」を大事に大事に読んでいたぼくは、ヤコブセンの本もなんとかして手にいれたいとおもっていた。あれからずいぶん時がたったな。いろいろ思いは深い。全4巻、いろいろ比べてみて結局「死と愛(ニイルス・リーネ)」を買った。山室氏の解説にヤコブソンが友人に宛てた1878年の手紙が引用されている。

 我々が生まれた当時に、丁度現在の我々ほどの年齢にあった一世代も、他のものと共にまたその自由思想家を持っていました。この自由思想は幾らか漠然たるもので、空漠と、また時としては浪漫的にむちゃをしちらしたものですが、とにかくしかし、人はそれで何事かを始めることができました。残念なことに、この自由思想を持って生涯をつらぬくことは、あまり容易ではないこと、それは彼の経歴や才能や、地位や友情にとって有害であることが示されました。そして人は、ただ楽しい昔の思い出から閉め出されたのみでなく、精神の成長にたいして伝統の肥料がもつ促進力から切離されて、恐ろしいばかりに自分自身の上に投げ返され、まったく自由になりはしたが、それを持ちこらえるのは困難なことを見出したのです。…僕の物語の中で、その美徳と欠点とにより、その怯懦と没落とをア明らかにしつつ、成人し、愛し、お喋りし、裏切られ、戦い、幻滅し、吹き散らされていくのはこうした青年たちです。様々の伝統の魔女の呼び声を耳にしつつ、一方からは幼い日の思い出の、他方からは社会の悪罵の苦い非難を受けながらも自由思想家であることがどんなに困難であることか。しかし私の物語では、これらはただ、ヴェールに包まれ、愛の夢と苦悩、愛の憧れと予感に色染められた、柔らかく朧な輪郭でのみ立ち現われましょう。少なくともそうありたいと願っています。

 ふと連想するのは、萩尾望都だ。彼女の絵で、この話を読みたいなとおもう。むかし「マルテの手記」の雪の中を橇で行くシーンを読みながら、ぼくはやはり萩尾望都の絵を思い浮かべていた。あのシーンはほんとうに美しかった。萩尾望都のああいう絵は、しかし70年代のものなんだろうなあ。