ジェラルド・ハワード「『重力の虹』の思い出 〜ピンチョン A to V〜」翻訳(その3)

翻訳最終回です。

ちょっとほろ苦い後味。


関心もって読んでくださった方、ありがとうございました。

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(承前)


あれから31年後、すっかり変わってしまった文学的風景の中にいるまったく異なった人物として、私は『重力の虹』の再読にとりかかった。私は怯む気持ちを感じずにはいられなかった。これは中年の男の住める国ではないのではないか*1。全工程を踏破し、亀裂を生み分岐していく物語の枠組み、何十人もの奇妙な名前の登場人物、テーマや科学や象徴に関する圧倒的な素材群、そしてバロック的な統語法、こういったものをしっかり頭の中に入れておける精神的なスタミナが私にあるのだろうか。書かれた言葉の明晰さと直線的な発展のために捧げてきた職業生活が、私をこのマジカル・ミステリー・ツアーに参加する資格のない人間に変えてしまったのではないか。私自身この本をいいと思わなくなっているとしたら? 思考実験のつもりで私は読んだ――アカデミックなピンチョン産業がこれまで本やウェブで拡散させてきた批評、手引書、索引、カンニングペーパーなどに頼らないこと。自分とテクストの一対一。1973年とまったく同じように。ただしドラッグなしで。


最初の反応はこうだった。うわあ、こりゃすごい本だ。文章は豪奢で、今日の作家の誰ひとりとして成功するどころか試みてもいない高密度の引喩や含意、そして超絶的な機敏さをそなえていた。最大限の注意を払っていなければ、そして矛盾するようだが、キーツが言うように「気短に事実を求める」ことをやめなければ、すぐに迷路にまよいこんでしまう。守るもののない世間知らずの22歳ではもはやなく、さまざまな社会的責任を背負った54歳となり、やるべきことが山積みだった私は、読書の時間を午後10時の深夜枠に制限せざるをえなかった。ピンチョンの暗示的な語りの声に脳波を支配されたまま、私はよろよろとベッドにたおれこみ、現代の小説が提供しうる最も不穏な潜在的内容に満ちた不安な夢の夜へと落ちていった。それは奇妙な6週間だった。私は、自分自身の内部の<ゾーン>で秘密の生活をおくっているような感覚を覚えていた。


私は1973年当時よりも辛抱強さをうしなっていた。けっして意味不明なものを呼んでいるとは思わなかったが、この本には非常に私的で、閉鎖的に感じられるところがあり、私には、ピンチョンが主に語りかけている相手はピンチョン自身ではないかと思えた。だじゃれやユーモアのいくつかは遺憾なほどに馬鹿げたものだったし(例えば「『易経』の足」とか*2)、時代遅れになっていた箇所には多少いらいらした。おそらく、あのころ『重力の虹』を読んでいた私は、今の私よりも柔軟で、寛大で、口うるさくなかったのだろう。そしてまた、あの少年は頑張ってそういうふりをしていたのだろうとも思う。


しかし私は最終的には(いや読み終わる前から)、30年前よりもはるかにこの本に感銘を受けたのだった。アメリカ文学のすべての作品のなかで、この小説がカバーしている並外れた知的な領域の広さと学識の深さに匹敵するようなものは1つとしてない。そしてその宇宙的な規模のドラマ! ピンチョンは私たちのメルヴィル、私たちのブレイクであり、善悪、無垢(そのアメリカの変種)、そして経験について歌う私たちの叙事詩人だった。ヴィダルは、彼が呼ぶところの「研究開発」小説家に異議をとなえたエッセイのなかで、ピンチョンの散文のセンスについて言いにくいことを述べていたが、私は同意しない。ピンチョンの言語の使用域の素早い移動――叙情的な文体から、詳細な歴史記述、スカトロジカルな描写(彼は糞についての詩人でもある)、存在論的・ヒステリックな文体、ヤク中患者の文体、予言者・預言者的な文体へと次々に移っていく――は、名人芸である。いまや私には、ピンチョンの偉大な達成は、何を語り、何を行うにも十分なほどに柔軟な語りの声を作り出したことだったのだと思える。大小さまざまな事柄について言及するさいにみせる自由さにおいて、『重力の虹』の語り手は、ほとんど前近代的であるといってよい。私はようやく次のことを理解した。『重力の虹』は一般的に理解されている意味での小説ではなく、道徳的な教育のために書かれたテクストなのだと。このことは、ジョン・ウィンスロップの船に乗ってこの国へやってきて、反カルヴァン的論文「我々の救済の神秘的な代償について」を物して論争となりボストンから追放されたウィリアム・ピンチョンというピューリタンの先祖をもつ作家にとって、まさにふさわしい。『重力の虹』は、怠惰な批評家が非難するようなニヒリスティックな小説などではまったくなく、意味、しるしや前兆、そして教育の機会があふれるほど豊富に詰まった作品なのだ。


それはまた予見の力もあった。もちろん、『重力の虹』を、その未来予測がどの程度正確だったかという観点で評価することは、オーウェルについて、彼がどれくらいまで現実の1984年に近づいていたかという基準で評価するのと同じくらい無意味なことだ。だが、現在から振り返ると、はっとさせられる予見的な契機がそこに含まれている。<ゾーン>内のあるドイツ人の技師は、罪悪感が商品として大量生産される未来を予見する。「強制収容所は観光客の見世物になるだろう。カメラを持った外国人が群がってどやどややってくるだろう」[新潮社版下巻110頁、国書版下巻93頁]。この箇所は、ピンチョンが、IGファルベンのようなドイツの企業やそれらの戦時中の恥ずべき活動の歴史――そしてそれらとアメリカのビジネスとのショッキングな関係――を掘り下げていく箇所と同じくらい秀逸である。さらにいっそう秀逸なのが、デジタル化した世界と情報経済についての予想図である。つまるところこれは、ありとあらゆる現象を「ゼロと1」に還元しようとする人間の性向が強迫観念としてとりついてしまった本である。ふむ。チューリヒで、1人のロシア人の闇商人がスロースロップに愚痴をこぼす。「世の中が狂うのも当たり前だな。情報なんてのだけがリアルな交換媒体になっちまうんだから」。そしてこう予言する。「いずれはぜんぶ機械がやってくれる。名づけて情報マシーン。あんたは未来のウェーブだよ」[新潮社版上巻494頁、国書版上巻339頁]。じつに正しい。スロースロップの予知的な勃起現象や他のもろもろに対する超監視体制は、今日の私たちの生活――キーボードの一打一打がスパイウェアによって記録され、取り引きのすべてがデータバンクに蓄積される――を予見している。スロースロップの自我の崩壊と精神の統合失調は、現実のゼロと1の王国における私たち全員の最終的な運命ともみなせる。


数十年たって読んだ『重力の虹』は、ますますその存在感と適切さを増していた、というのが私の見解だ。ではより広く、この作品がアメリカ文学に及ぼした影響はどうだったか。まず言えるのは、あれから出版されてきた数々の小説のなかで、この本の本当のライバルになるものはなかったということだ。そこにピンチョンのその後の作品、『ヴァインランド』と『メイスン&ディクスン』も含めてよいだろう。どちらの作品も多くの優れたところがあるが、月にまでもっていきたいとまで思う者はいないのではないか。ウィリアム・ギャディスの『JR』は、名人芸的なパフォーマンスであり、非常に予言的な力をもつ作品だったが、それはやや形式的な離れ技という感じもしたし、一方彼のその後の作品は、人間の愚行に対する極端にスウィフト的な嫌悪が欠点となっている。別格なのは、戦後アメリカ文学におけるもうひとりの巨人、ドン・デリーロだ。デリーロは、ピンチョンと同じように、小説を、20世紀後半のアメリカ人であるということの特殊な存在状態を、その同伴物である恐怖、神秘、不条理とともに探求するための手段として利用したのだった。『アンダーワールド』は冷戦の意味についてのもっとも信頼のおける要約となっているが、デリーロの成し遂げた業績の大きさは、その作品と、その前の素晴らしい3作『マオ2』、『ホワイトノイズ』、『リブラ』をともに考察することでその範囲を確定できる。『重力の虹』と同じく、これらの小説は、アメリカの生活と、その根底にある広大なシステムを、科学とテクノロジーによって媒介され、可能となったものとして理解する。それらの小説は、完全なる安全と統制という夢がいかにしてパラノイアを生むのか、そしてそのような世界の中で、リー・ハーヴェイのようなフリーラジカルたちがいかに大混乱を巻きおこすのかを見せてくれる。デリーロはその気質とスタイルにおいてアポロ的であり、彼の小説に登場する技術官僚たちや妄想患者たちの秘密の共有者である。一方ピンチョンは冥府的であり、より暗い神々と触れている。私たちは、この両者のどちらかを選ぶ必要はないことに安堵し、100年後の人びとがこの2人の本を読み、私たちのこの奇妙な生活の輪郭と性質を理解してくれるだろうと確信するのである。


重力の虹』のより直接的な「影響」はどうだったか。アメリカの若手作家の中の「高IQ派」と私が呼んでいる人たちにたしかにそれが見られるように思う。聡明で、情報工学に通じたリチャード・パワーズは、ピンチョンから科学、数学、遺伝学、そして音楽などさまざまな領域から引かれた隠喩的な道筋にそって小説を構築する方法を学んだ。ウィリアム・T・ヴォルマンは、その野心的な目標と博識の射程範囲において、彼の世代でもっともピンチョンに似た存在である。とはいえ、彼はまだ形式についての問題を解決する必要がある。デヴィッド・フォスター・ウォレスはひょっとしたら、ピンチョンを除けば、アメリカ文学界におけるただひとりの正真正銘の天才かもしれない*3。大作『尽きることなき冗談』が出版されたとき、『重力の虹』の再来であるかのごとく騒がれたが、それにはそれなりに正当性がある。しかし『重力の虹』が外に目を向け、西洋の歴史の悲劇的なノイローゼから脱出する道を探っているところで、『尽きることなき冗談』は内へと潜りこみ、私たち全員がかかえている心の弱さと、自分に催眠術をかけて記憶喪失状態にしてしまう私たちの文化の性向へそのアンテナを向けている。最後に、ジョナサン・フランゼンは、ピンチョン的な感性を家族小説に結びつけ、『コレクション』で爆発的な効果をあげた。ただオプラ・ウィンフリーが話を持ちかけてきたとき、彼は別な意味でピンチョンの真似をすべきだったろう*4


しかし私は、『重力の虹』が、次第に訪れる人の稀な記念碑になっていくのではないかと恐れている。私の出版社にいる30歳以下のアシスタントと編集アシスタント16人――大変な読書家のグループである――に聞いてみたところ、『重力の虹』を読んだことがあるのはたった2人、ピンチョンの小説を読んだことがあるのはたった5人であった。その5人の話からすると、ピンチョンは文体のせいで読みにくいと感じており、ピンチョンが取り上げているテーマも、彼らにとっては総じて疎遠で、関係ないものと受けとめているようだった。もっともな話だ。ピンチョンの作品は、冷戦と軍拡競争、そしてそれらに反対する対抗文化の純粋な産物である。しかるに、これらの若者たちは、共産主義の崩壊以後、テクノロジーが想像力と個人の自由の王道とみなされる時代に成人した世代なのだ。事実上、『重力の虹』は過去のものとなりつつある――避けようもない宿命だ。30年経つうちに、この本は、ヴァルター・ベンヤミンが複製技術の発明前に制作された芸術作品がまとうとした「アウラ」のいくばくかを獲得している。残る問いは、この先、この本が決定的に古いと思われるようになる日が来るのか、あるいは、「古くならないニュースであること」というエズラ・パウンドの試験に合格するのか、ということだ。誰が知ろう。私が『重力の虹』にかんして絶対確実だと分かるのはこれだけだ。「これに比べられるようなものは何もない」ということ。


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人生とはつらいものだ。このエッセイの準備中、私はコーク・スミスに久しぶりに会ってインタビューをするため、2004年10月14日に一緒に昼食に行く約束をした。その2日後、彼の妻シャイラ・スミスから電話があり、コークは心不全の徴候があるので経過観察のため病院にいると伝えられた。数年前から彼の調子はよくなかった。以前にうけた心臓切開手術は成功していたが、肺気腫が悪化していて苦しんでいたのだ。それでもその3週間後、コークから連絡があり、気分がよくなったので(翻訳すると全然よくないということだったが、他にどうすればよかったのか)、昼食は感謝祭後の月曜日にしようということになった。休日の2日前、Eメールを開くと、「コークは昨夜亡くなりました」という件名のメッセージがあった。こうして私はコークに話を聞く機会を永遠に失ったのだった。『重力の虹』の輝かしい出版の思い出について、また他のさまざまなことについても。


コーク…

*1:W・B・イェイツの詩集「ビザンティウムへの船出」の一行目「これは老人が住める国ではない」のもじり。

*2:新潮社版下巻671頁の注45を参照

*3:2008年に46歳の若さで亡くなってしまった。自殺と言われている。 http://chronicle.com/article/David-Foster-Wallace/41608

*4:オプラ・ウィンフリーのブッククラブと「ジョナサン・フランゼン事件」についてはここに詳しい。 http://repository.aichi-edu.ac.jp/dspace/bitstream/10424/5565/1/gaikoku471733.pdf