『カムイ伝第二部』

 ついでにマンガの話。
 先月実家に帰ったとき、ひさしぶりに『カムイ伝』を読み返した。
 父親が揃えていた小学館のゴールデンコミックス版をはじめて読んだのが小学校3年か4年くらい。レゴの人形にアンテナを後ろ手にもたせて『変移抜刀霞切り!』とかやってたのをおぼえてる。
 ナナの裸には興奮したけど、後半の絵の生々しいセックスシーンは苦手だったなあ。四方田犬彦によると、新書版12巻の途中あたりで絵が岡本鉄二に変わったということらしいけど、いまでは岡本の絵のほうが女が描けてるよなヘヘヘとか思う始末で人はこうしてオヤジになっていくんだと思った。ちなみに今回は小学校の頃は眼中になかったアテナに惚れました。リーゼントっぽいヘアスタイルがかっこよす。
 あれから中高大の時期を通じて幾度となく読み返してきたけど、今回はじめてストーリーの輪郭と構成が理解できたと思った。要するに途中から一貫してメインは正助による新田開発の話だったんだと。開発や綿栽培や養蚕の話自体は、物語の前半でドラマチックに描かれてるので分かりやすかったんだけど、13巻以降の話の流れが小学生の頭にはよくわかんなかったんである。日置と江戸の関係も当然よくわからなかったし、場面が江戸なのか日置なのか判然としないまま読んでたな。
 ええと書きたかったことはそういうことじゃないんだ。第一部を読んだ勢いで、第二部も読んだんだけど、これがめっぽう面白かったという話。第二部は半年くらい前に満喫で読んでいて、ふーんそれなりに面白いじゃんとおもってたんだけど、2回目読み返してみて、ああこりゃすごいとあらためて感じ入ったというわけ。
 『電波男』の中の人が、第二部について、「元左翼学生たちが、サラリーマン社会をいかに生き抜き要領よく出世するかを描いた、90年代の「元安保学生」たちのその後の人生を時代劇」として書いた「ふぬけた漫画」とか酷評してるけど、いやいやそれはちょっと違うんでは。その見方自体型にはめすぎでしょう。おもしろいけど。権力と生について、イデオロギーにとらわれない目で、ねばっこくねばっこく描いてるという印象を持ったけどな。冒頭で書かれる猿の話をきちんと読めということですよ。そしたら権力への生態学的視線が貫かれてることが分かる。
 こういう作品は日本でしか書かれないだろうなあ。