『マイ・アーキテクト:ルイス・カーンを探して』

tweakk2006-02-16

 渋谷のQ-AXシネマにて。2003年/アメリカ/35mm/116分/ヴィスタ/カラー/Dolby SR。
 偶然2日続けて触れたモダニズム建築、ぼくはどうも好きじゃなくなってしまっているみたいだ。もう何年前なのか、セゾン美術館のル・コルビュジェ展で、サヴォア邸のまえでしばらく動けなくなるほど心が揺さぶられたのに。建築家の精神の尊大さが気に食わなくなっている。吐き気がしてくるほどだ(たぶん、なにか全体主義的なものを感じるからだとおもう)。今日の映画に登場した、ルイスをこっぴどくこき下ろしていたフィラデルフィア都市計画委員長のほうに共感をおぼえる。ルイス自身がきらいなわけじゃないんだけど。ぼくの家の近くの、3階建ての白い団地のほうがよっぽど美しいとおもう。風景にとけこんで、つつましく、それでいて砂漠にころがっている骨のように白くて単純で機能的な形態をしていて、横をとおるたびにいつもはっとする。
 『ラスベガスに学ぶこと』に全面的に賛成するわけじゃないけど、あのモダニズム批判は的を得てる。だからフランク・O・ゲーリーが登場したときはおっとおもったけど、コメントは少なかった。「建築は時間を超えて存在する」というようなルイスの言葉が引用されていたが、それはチガウとおもった。ぼくたちはモニュメンタリティは必要としていない。必要としたとしてももっとつつましくささやかなものだ。綿棒やボタンやセロファンでつくられたサラ・ジーの作品のように(彼女の父親も建築家だという)。だから今日の写真はカーンじゃなくてサラの作品。
(にしても、きのうのアスプルンドも、カーンも、コルビュジェも、みんな若いころイタリアや北アフリカの建築に出会って大きな影響をうけている。モダニズム建築は地中海の光と関連があるのか?)
 建築よりも、家族をめぐるドキュメントがおもしろかったかな。造園家の愛人(監督の母)の孤独な生活(エミリ・ディキンソンを思わせる)。メーン州の豊かな自然(湖岸にたつ孤独な家、森、雷、雨。ソローやエマソンや、アメリカのトランセンデンタリストたちがたたえた自然とはこういうものだったのだろう)。エピスコパリアンのおしゃべりな叔母たち(魔女みたいだ)。
 ドキュメンタリー映画といえば、ドイツ在住の友人が『大いなる沈黙die grosse Stille』というのを奨めてくれた。フランスのカトリック修道院のドキュメンタリーで、3時間ほとんど無音らしい。たまに会話のシーンがあるけど、一番大きい音は教会の鐘の音、あとは雨の音とか雪のしんしん降ってる音。監督は撮影許可をとるために16年待ったとか。2年後くらいに日本でもやるかな。