なぜこんなにフィクションを必要とするのか

 5、6冊単行本を読んで店をでたら、驚くほど元気になっている。温泉行くとかスポーツするとかセックスするとか寝るとか食べるとか、世の中にはいろんなストレス解消法、保養の方法があるけど、あー自分はフィクションに没頭することで元気を回復するんだなとあらためて思った。
 フィクション、というと、嘘とか偽物とか現実逃避とかどうしてもマイナスのイメージがまとわりつく。フィクションにばっかり触れてると現実と空想の区別がつかなくなるとかなんとか。でも人がフィクションを欲するのは、ぼくは生命体の重要な、基本的な機能(欲求)の一つだとおもっている。連想や回想は、意識的生命の流れを強め彩るためにあり、これを通して経験ははじめて人間のものになる、と書いたのはデューイだ(ぼくは彼のプラグマティズムの本をなかば芸術論として読んだ)。現実逃避どころではない。適応能力、ミメーシス能力のポテンシャルを回復するための行為だ。文明のあるところ演劇的なものは必ずある。いまも変わらず映画がメディアのキラーコンテンツだ。単なる時間つぶしの娯楽じゃないし、特別ありがたく高尚な文化にしちゃってもいかん。生命として存続するために必要だからしてるだけ。
 んで。なにをいいたかったかというと、これからも漫喫にしげしげと通いますよということ。