電通といえば

先日、というか、きのうか。ちょっと用事があって汐留のあたりをうろうろしていた。はじめて行ったのだけど、おやじ臭かぐわしい新橋駅烏口からわずか1分歩く間のこの世界の転換はすげーと思った。ビルどーん、モノレールどーん、シアターどーん、ショッピングモールどーんという…ま考えてみれば珍しくもない再開発地域なわけだけど、電通ビルがどーんあるとやっぱりシンボリックでいろいろ思うことあり。広場にながれる電通四季シアターのアナウンスを聞きながら、なんかある種の崇高について思いが向いて、バロック時代との類比の可能性を考えた。バロック時代の建築、彫刻、オペラなどの諸芸術は、反宗教改革の説得の装置だった。教会と絶対王政に守られた諸国民と諸芸術の繁栄という理念。では、この街並みはどこへむけての説得なのか?(事実、ぼくは魅惑され説得される心地よさを味わう)。プランが立ち、デザインが描かれ、資本が投下される。それはどんなビジョンに向けての――個別の利害関心を合成して総体として現れるような――投資なのか?