(10):シュヴァルツクナーベを追え!①−IGファルベンとドイツのテクノ・ヘゲモニー

 こんなサイトがあった。Prof.Michael Davitt Bellの『重力の虹』のサマリーを翻訳したサイト。マジで乙。まだ終了してないみたいだけど、完成を応援したい。
 ところで前のエントリを書いてて、要するに自分は財閥とかいうものについて知りたいのだということがわかった。おそ。というわけで広瀬隆『赤い盾』とか読んでみる?「と」な本だったらどうしよ。
 ところで(またか)このへんの問題に関して、前に読んだ本を思い出したので、おもむろに埃だらけの片隅から引っ張り出してきて引用メモ。本は薬師寺泰蔵『テクノヘゲモニー』(中公新書、1989)。

第1次世界大戦が勃発すると、世界は深刻な染料不足に陥った。染料ごときと思われる読者もおられるかもしれないが、染料は極めて重要な戦略工業製品であった。まず衣服の染料ができないということは、衣服が生産されないということである。さらに染料そのものはアニリン系の爆薬や、医薬、写真現像と同じであり、染料供給不足は、医学、工学、武器技術上、深刻な事態を招来した。…当時、ドイツは人工染料の世界シェアの9割以上を生産し、完全に独占していた。… 
 第1次世界大戦中、米国は遅れて参戦したにもかかわらず、米国におけるドイツ染料特許1200件あまりを直ちに接収し、デュポンやモンサントをはじめ主要化学会社へ無償で提供した。そのためには、終戦直前の1917年に、議会は敵国通商法を成立させ、連邦通商委員会が接収特許を無償で民間企業にライセンスするという法的根拠をでっち上げた。このとき接収特許を管理するために急遽設立されたのが米化学財団なのである。

 で、このライセンス工作に関わったのが(もちろん『重力の虹』の中の話)スロースロップの叔父貴、ライル・ブランドであり、このとき売られたパテントのなかに、ラスロ・ヤンフの初期のパテントも入っていた(ただしイミポレックスGのパテントではない。イミポレックスの開発はさらにこれから20年後、1939年のことだ。ここを勘違いしてる人が−えらい人の中にも−多すぎる気がする。スロースロップの幼少時に行われた条件付けの実験−1920年頃−と後年開発されたイミポレックスGとは直接の関係は存在しえないし、またIGファルベン−1924年結成−ともまだ直接の関係にはない。スロースロップ実験に関わっていたのは、グレッスリ・ケミカル・コーポレーション)。

第1次大戦後、ブランドは国外財産管理人Alien Property Custodianのオフィスに出入りするようになっていた。その仕事は合衆国にある接収されたドイツ人の権益を処分することであった。…<化学財団Chemical Foundation>といわれているものを通じて、APCはブランドに、ベルリンの<グリセリウス・ペイント&ダイ>社の合衆国代理店とあわせて、ラスト・ヤンフの初期のパテントもいくつか売った。…

このへんのヤンフとブランドとの関わりはどうも見えにくい。死ぬほどねむいのでまたごじつー。