忘却について。
「私たちは忘却してしまったものを、完全なかたちで取り戻すことはけっしてできない。それはおそらく良いことなのだろう。もし取り戻すことができたなら、その衝撃は非常に破壊的なものとなり、その瞬間私たちは憧憬というものを理解することができなくなるだろう。私たちは憧憬というものをそのように理解している。そして忘却されたものが私たちの内に深く沈めば沈むほど、憧憬をそれだけ深く理解することになる。喉まで出かかって忘れてしまった言葉が私たちをデモステネス的雄弁へと駆り立てるように、忘却されたものは、それが約束するこれまで生きてきた全生涯をずっしり重く孕んでいるように思われる…」
このベンヤミンの文章で思い出すのは、やはりリルケのあの一節だ。
「…しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向になんの足しにもならぬのだ。追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。そして、再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。追憶がぼくらの血となり、目となり、表情となり、名前のわからぬものとなり、もはやぼくら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それらの思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生まれてくるのだ」
そういえばブランショの「期待/忘却」が復刊されていたな。ゴダール「映画史」にもこんな一節があったような。忘れたちゃったけど。