ヘルマン・ヘラー『ドイツ現代政治思想史』の続き。
「東プロイセンで始まった[シュタインとハルデンベルクの自由主義的]改革事業が成果を収めたさらなる理由は、ケーニヒスベルクの賢者の精神で訓育され、東プロイセンの故郷の大学でアダム・スミスの著作を聖書と並んで最も重要な書物であると言明したクラウス教授の指導を受けた高級官僚たちの支援を受けたことである。…フォン・フィンケ男爵は、1796年の日記にこう書き留めた。彼は、毎朝、『神のような』スミスの1章を読むことによってその日の仕事を始めることを自分の決まりにした、と」
スミスは遥か大陸の東国プロイセンでも絶大な影響力をもってたのだな。なんかわかるな。清新の気、というやつだったのだろう。ヘーゲルもスミスを読んだだろうか。ヘルダーリンは<ルソー>と題した詩を書いたが、スミスも読んだだろうか。ああこの時代好きだな。
刷新の気風に満ちたドイツの自由主義運動は、しかしやがて、君主主義的反動と教会的反動によって、政治的分野から純粋な経済的分野へと、撤退を余儀なくされる。「無数の権利侵害と自由の侵害に対して、ある程度力強い抵抗を行うことができたのはただヘッセン自由主義ブルジョワジーだけであった。その他のところでは、1848年の革命の幻滅から完全に回復するというわけにはもはやいかなかったにせよ、ある程度まで回復するのに10年を要した。その間にもっとも有能なものは経済へ転じた。まさにこの時期に途方もない経済の躍進が起こって、行動力のある者には経済界で成功するチャンスが開かれた」
経済活動に邁進するこれらの自由主義者はたちは、後に、対外的には経済帝国主義のために、国内的には社会主義運動を牽制するために、ビスマルク政府を支持することになる。こうしてリベラリズムの醜悪な保守化が始まるわけだ。リベラリズムが本来もっていた政治的=精神的解放のポテンシャル、もしくは感受性が失われると、こういう事態になるのだろう。現代の新自由主義も同じことだ。
と書いて思ったのは、やはりエンゲルスはたいした人物だったんだなということ。豊かな企業経営者の家庭に生まれ育ちながら、この感受性を終生忘れなかったという点において。