遅いランチのあと、ラフォーレミュージアムのあたりをぶらぶら歩く。散歩はいいな。記憶が攪拌されて、知覚が広がり、ほんのすこし歩いただけでずいぶんな旅をしたような感覚がある。意識の下部構造がゆっくりもみほぐされるような感覚。ある種の調和の感覚を求めて歩いているのだな。
帰りの電車では、リベラルな精神をもつことと公共サービスを自分の仕事とすることは、はたして両立するのか、なんてことをぼんやり考えた。たとえば、リベラリストでありながら公務員(または特殊法人の職員)であることはできるか?公的なものを最小限にして私的で自由な活動を追求せよという新自由主義的な考え方からすればNoだろう。今の社会で、リベラルな気質をもっていて能力のある学生だったら、やっぱり公務員をめざすより民間企業に就職するか、起業するかするだろう。でもこれはやっぱりイデオロギーなんだと思う。たとえばデューイにとっての教育は、公共サービスであり、リベラルな価値観の源泉でもあった。スミスやフンボルトらクラシカル・リベラリストたちにとっても同じだろう。パブリックということを、この立場から考えてみたいもんだな。おしつけがましいナショナリズムに対抗するにも一番いい立ち位置におもえる。
で、やはり田中康夫のことを考える。まあいろいろあるけど、彼の登場がほんとに新鮮だったのは、やはりこの二つ、リベラルと公共サービスが両立するってことを実行してみせてくれたからなんだろうな。