昨日は2年ぶりくらいに父方の祖父母を訪ねた。バイト明けすぐ東京駅に出て新幹線に。寝る暇もなく、おばさん二人に挟まれたまま20分で熱海に到着。そこから来の宮まで2分。
とにかく二人が元気なのにびっくり。祖父のしゃべりはとどまるところをしらない。記憶装置がぶっ壊れてるなんてのたまわっていたが、とんでもない。はじめは母親と興味深くフンフンと聞いていたけど、4時間後はぼくも母も80%聞き流し状態。つれーよ。ご病気で弱っていらっしゃるなんていったの誰だ!でも元気で良かった。面白かったはなしは、講談社の「幼年倶楽部」創刊号からの読者だったこと、45年には軽井沢の沖電気の工場(無線機製造)でデスクワークをやっていたこと、終戦時は29才つまり今のぼくの年だったこと(1917年生まれつーことはスロースロップ中尉とほぼ同い年だ!)、中学のとき品川の自宅からツェッペリン号を空に眺めたこと、大井に昭栄館という洋画館が新しくできて、父親(ぼくの曽祖父)の製本所のガラス戸にポスターが貼られたこと、その謝礼として貰ったチケットで洋画を見まくったこと。見たのは「モロッコ」やレニ・リーフェンシュタール「青の光」、アーノルド・ファンク「新しき土Tochter des Samurai」!!…なんということだ。ひとしきり映画の話で母親と3人で盛り上がる。原節子はいまも浄明寺に住んでいるらしい。しかし87歳の祖父とこんなに時代感覚を共有できるなんて思いもしていなかった。雑誌や映画について語る祖父とぼくはほとんど同世代のオタクだ。ぼくの歴史感覚が世代の壁を超えて拡大したとすればやはりピンチョンのおかげが大きい。あと四方田犬彦?母親が後でいうには、祖父母はモダンなカップルだったとのこと。
17時に辞して鎌倉へ。中華料理店でこんどは母方の親戚たちと食事。祖父がティヤール・ド・シャルダンの翻訳をしてると知りここでもびっくり。夜は麻雀。子で倍満ツモってぎりぎりで一位。その後飲みながら議論しているととつぜん、母親が胃が痛いといって苦しみ出す。楽な格好に着替えるといって部屋にもどったあと、様子を見に行くとうずくまって顔を歪めているので慌てる。悪い予感が頭を掠める。叔母と背中をさするなどしているうちに少し楽になったようなので寝ることにするも安心できず、あまり眠れなかった。原因は食事かストレスか。彼女はストレスを溜めやすい性格なのだとあらためて認識。議論で「あなたは努力しているのか」などと強いことを言ったことを後悔する。ふう。この年になっても親を労わってあげられないなんて情けないなあ。彼らにまだがんばってほしい、見本になってほしい、と思うのはやはり甘えなのか。

朝目覚めると、母親が起き上がって布団の上に座っている。一瞬どきっとしたが、悪くなっていないと聞いてほっとする。おそめの朝食をとり、アニメーターになることに決めたイトコとすこし話をして(「オネアミスの翼」を観るようすすめたけど余計なお世話だったか)昼すぎに家を辞す。新宿で途中下車して買い物。ABCで「雑誌をデザインする集団キャップ」、福島聡「少年少女」第3巻、アンソニー・ギデンズ「左派右派を超えて:ラディカルな政治の未来像」(どうでもいいがアンソニーって名前かわいいな)、タワレコで1時間ほど視聴しまくったあと「DJ KAORI'S "RIDE"into the MIX」を衝動で購入、SHIPSでは仕事用のシャツを買うはずがなぜかジャージを買ってしまう。んむーバカ買いだ。でも二日間親戚回りをしてすこし意識のピントずれた感じだったのでよい気分転換。
さらに気分転換を図るべく、近所のマンガ喫茶で1時間弓月光甘い生活」を読みふける。疲れて元気を出したいときはこれを読むにかぎるのだ。わはは。途中、後ろのボックス席でドイツ人が携帯でドイツ語しゃべり出したのでびっくりする。もしかしてマンハイムからの留学生か。こんなマイナーなマン喫にくるなんて相当だ。