といいつつ電車では野田昌吾の続きを読んでいたりする。逃避だ。

 ここでまず問題にしなければならないのは、ドイツ・ルター主義の転回についてである。ルター主義は、周知のように、人間を霊的(内的)な存在と身体的(外的)な存在とに区別し、外的行為に対し内的信仰を極度に重視したが、このような二元論的なルター主義のあり方はドイツにおいて領邦教会体制の成立とも相まって、政治を含む「外的世界を宗教的信仰の課題と責任の対象にすることから疎隔」し、さらにはそれを世俗的権力へ全面的に委ねる服従の教理(「二つの王国」論)を招来せしめた。そして、よく指摘されるように、こうした保守的なドイツ・ルター主義の伝統がドイツにおけるナチズムの勝利の一つの思想的背景を形づくったのである。このドイツのプロテスタンティズムが味わわなねばならなかったナチズムの悲劇的な体験が、「キリスト教リアリズム」の議論の背景にも存在していることを忘れてはならない。…このいわゆるドイツ教会闘争に思想的影響を与えたのは、カール・バルトに代表される「弁証法的神学」と呼ばれる神学的運動であった。…それは神と人間との絶対的な距離、断絶の非常にラディカルな主張から逆に現世におけるすべての既存秩序に対する激しい否定を導き出す点に最大の特徴があった。…このような議論からでてくる結論は、現世に絶対的に正しい秩序など存在しないという認識、あらゆるロマン主義から解き放たれた世俗性の認識から出発しなければならないというものである。この認識こそ真に「リアル」なものであり、それを踏まえたザッハリヒな考察において初めて政治は可能となる。世俗的なものを絶対化する「世俗主義」を批判し、神と人間との絶対的な質的差異の認識から出発する「世俗化」の貫徹を説く弁証法的神学の強い影響を受けて、ドイツ・ルター主義は「二つの王国」論を乗り越える手がかりを与えられたのである。

 世俗忌避から世俗における合理主義への転換、という論理は、「プロ倫」でウェーバーが17世紀から18世紀にかけてのカルヴァン派とピューリタニズムについて示したことだ。さらにピューリタニズムのこうした性格がもたらす世俗的権力への反発心が、イギリスの清教徒革命やアメリカの独立運動を生んだとも指摘している。もう少し生きていれば、アンチ・ファシズム精神のよすがとなった、といっただろう。彼はルター派については詳しく触れていない。野田氏のこの戦後直後のルター派の説明を読むと、同じ論理を展開しているように見える。しかしまったく同じわけはないよな。たっぷり200年も隔たりがあるのだし。しかし興味深いな。リベラリズム保守とくくられるCDUのなかの、つまり戦後ドイツ政治経済における「キリスト教」的思想の本質をもうすこし深く見てみたい。ドイツのビジネスとキリスト教の結びつきは、アメリカのそれとどうちがうのか。フラタニティみたいのはドイツにもあるのか。…いかん、思考が空回りしてきたので、そろそろ寝ます。おやすみなさい。