DA PUMP新曲頭にこびりついてはなれねー!ちょうど涼しくなってきてなんとなく切ない気分でココロの隙が生まれるタイミングを見計らってのリリース、に見事にやられてるような。1991年の秋に、空気感に、すうっと連れもどされる。<空気感>、というのはポップスのなにか根源にかかわることだなとおもう。ぼくたちの記憶やアイデンティティは、こういうポップスの力に、きっとずいぶん依存しているんだろう。思い出したり、確認したり、受け入れたり、昇華したり、忘れたり、気持ちを重ねたりするうえで。だから人間は歌を聴くんだろうな。
TOMでカタログの再校確認。帰りに本屋でS・ゲオルゲ「生の絨毯」(東洋出版、1993年)を購入。原書は1899年。岩波のゲオルゲ詩集は惹かれなかったが、これはいい本だと思う。訳もいい。ゲオルゲを読むというのはどういうことなんだろうと考える。一種の反動、ということになるんだろうか。でもぼくにはピンチョンを通した見方がある。おそらく1900年前後の生まれという設定のヴァイスマン=ブリセロを理解する、ということだ。彼が直接結びつけられていたのは「ドゥイノ」だったが。<大戦>前のドイツ…。そして少し前は萩尾望都の作品も、こうしたドイツ新ロマン主義的世界に通じるなにかがあった。ぼくはだから彼女の作品に重ねて読んだりもする。そういえばヘルダーリン読んで、なぜとはなしに「銀の三角」思い出したこともあったっけな。こういう連想はいったいなんなんだろう。