ひさびさに強烈なテンションで仕事をする。風邪薬とコーヒーのせいかも。
BLAME!」効果がまだ持続していて、駅やビル街の風景のパースが脳内で狂う。弐瓶勉はパースが完璧。という評価をネットで散見し、絵のわからないぼくはおおそうなのかと感心するばかりだけど、でもある意味彼の脳内パースは逆に大きく狂ってるんじゃないかと、帰り道大手町のビル群を見ながらふと思った。ああいうビルは彼の目には全長数百キロの巨大構造体に映るにちがいない。作品の余韻が効いてるぼくの目にもそう見えるのだから。これもたしかに<驚異の感覚>だ。ところで弐瓶氏の建築美学はじつはファシズムやイタリア未来派のそれに源流をもつのではないかという直感があるのだがどうだろうか。シュペーアとかとかそのへんだ。いやむしろ擬古典主義よりもやはりゴーメンガーストばりのゴシックなのか。だれか論評してないか。うぐぐこうなると「パピエ・コレ」の1巻がどうしてもほしい。そもそもSF作品に登場する建築のオリジンを丹念に追跡したような本はないものか。
今日の白鯨。「クロゼット群島から北東に進んだとき、船は一面の卵の海に乗り入ったが、その小さな黄色の物質は、背美鯨が好んで食うものだ。それは、何リーグも何リーグも、船のまわりに、波うっていて、まるで黄金に熟れた穂麦の大平原を航しているような心地だった」。オエー!いちめん卵ですよ!恐るべし。んでもって全長200メートルのぶくぶくした乳白色の巨大烏賊がぬーとでてくるし。クトゥルフですな。