エレクトロニカについての覚書

 朝、高木正勝「opus pia」をきいてたら、2年ほど前同じく高木君の「Journal For People」の発売が決定したときデイジーワールドの掲示板に書きこんだ文章をふと思い出したので、再録してみます。読み返すとかなり恥ずかしいんだけれども。

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 最近の怒涛のようなペレスト…いやエレクトロニカ特集、もう、うれしくて!もっともっと、浴びるほど、きいていたいです。

 「未来の社会の精神」「男性原理から解放された音楽」。という細野さんのコメントを聞いていて、え・あ・そうかも・そうだそうだ・よくいったーえらーい!(すいません)とはげしくうなずいています。以前鈴木惣一郎さんとの話に出ていた「あたらしいロマン主義」というのが形になったものがコレかもしれませんね。もしかしたら。

 そして高木さんの「Journal for People」というアルバムタイトルが、象徴的に思えてきます(journalもpeopleもあたらしいミニマムな民主主義的な響きがあるのがいいですね)。声高に主張せず、一人一人が自由に結びついてアイディアを形にして、日常の細部に崇高を、大きな歴史の上に一人一人の夢と記憶と風景の断片を重ねて…。

 テクノロジーは、50年代にはわくわくさせる希望と漠然とした不安を、80年代にはあからさまなエクスタシーと恐怖を私たちに提供してきた、とあるSF作家がいってますが、00年代のいま、エレクトロ・ミュージックは、駅のホームの雑草とかふいに射してくる陽光とか朝起きるときにすこしだけ必要とする日々の小さな勇気とか、そんなイメージを与えてくれるようになった気がします。

 戦争や、テロや、拉致や、自衛や、不況や、失業や、いままで見ないですんできたことのヴェールが次々にとれてきて、時代がなにかぐぐっと転換し始めているようなかんじ(しかもあんまし良くない方へ)ですが、こういうとき、こういう音楽、というか精神の指し示す方向を見失わないようにしたいです。うん大丈夫。すこしぐらついてもすぐもどってこれる。とかね。