伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』メモ:<プロヴィデンスの「星の智慧派」教会があったのは丘の頂ではなかったのではないか問題>について

ツイッタに書いたのを転載。あんまり更新してないのもなんだし。

唐突で、しかもかなりどうでもいい瑣末な話であるが、<プロヴィデンスの「星の智慧派」教会があったのは丘の頂ではなかったのではないか問題>について思案していたので、ちょっと書いておく。(もちろん『屍者の帝国』の話です) posted at 17:51:52

円城さんの描写。プロヴィデンス市の「円丘をなす」「フェデラル・ヒルを囲む林」乃至「森」があり、下から見ると「頂から伸びる奇妙にねじくれた復興ゴシック調の尖塔が林の上に覗いている」。林を抜けると「円丘の頂き」に「周囲より6フィートは高く持ち上げられ」た高台に黒く巨大な教会が聳える。 posted at 17:54:37

一方、ラヴクラフト「闇をさまようもの」の描写。主人公が大学近くの坂道にある住まいの窓から西側の下町方面を見下ろすと、「フェデラル・ヒルの幽霊めいた円丘(hump)がもりあが」り、ひしめく切妻屋根や尖塔のなかに「くろぐろとした巨大な教会」が建っているのが見える。 posted at 17:56:10

主人公は引き寄せられるようにダウンタウン方面から、イタリア人街となっているフェデラル・ヒルの坂道を登り、しばし道に迷った後、細い坂道のはずれの広場の奥に、「まわりより優に6フィートは高い」盛土の高台の上に建った、「ゴシック復興期の最も実験的な初期の形態」の教会をみつける。 posted at 17:58:15

ここでラヴクラフトは、教会が丘の頂にあったとは書いていない。むしろ街並みに隠れて見つけづらい様子。部屋から「とりわけ高い土地に建っているrest on especially high ground」と見えたのは先の6フィートの土台のことで、丘の頂に目立つようにそびえてはいなそう。 posted at 18:02:18

ちなみに、円丘(hump)の円とは、なだらかな丘の頂上が浸食でまるくなっているという意味で、円墳のように全体が円形というわけではないようだ。これは以下の地形図を見てもわかる。 posted at 18:05:41

1887年のプロヴィデンスの地形図 http://t.co/wPMLm1O7 ナラガンセット湾の奥、これも湾のようなプロヴィデンス川のそのまた奥にCove Depot(港湾物流センター?)が目立つが、その南西の、等高線を見るとほんのすこし高くなっている一帯がフェデラル・ヒル。 posted at 18:07:18

プロヴィデンス川沿いがゼロメートルだとすると、フェデラル・ヒルの一番高いところで18メートルくらい、緩い勾配で、上部はかなり扁平。東京で言うとちょうど桜田門のほうから国会議事堂のほうへゆっくりとのぼっていくかんじだと思われる。淀橋台東縁斜面ですな。 posted at 18:10:16

これは1935年の測量地図 http://t.co/fhMBaoUN  等高線が10ft(30センチ)間隔なので分かりやすい(Depotは消えている)。ブロードウェイの両側がフェデラル・ヒル。川向こうのブラウン大学のあるカレッジ・ヒルよりかなり扁平だと分かる。 posted at 18:12:49

ラヴクラフトがモデルにしたといわれている教会がこれ http://t.co/xvtfatn5 フェデラル・ヒルの一番高いところにあるが、頂きにそそり立つイメージではない。この教会は92年に取り壊され、今はこうなってる http://t.co/UcrMWx3N posted at 18:19:45

こちらはイラストだが、6フィートの土台と鉄柵のイメージがうまく描けてる。 http://t.co/5f8X2pyC posted at 18:21:33

というわけで、下から見上げて丘の頂に教会の尖塔が黒々と見える、という円城さんが描いた構図はちょっと不可能っぽい。また、1879年時点でフェデラル・ヒルの周囲を林ないし森が囲んでいたという可能性もなさそう。せいぜい教会の周りに木立があった程度か。 posted at 18:26:07

以上、小説の筋とはなんの関係ない、我ながらおそろしくどうでもいい話でした。「アリョーシャの青い石は、<輝くトラペゾヘドロン>だったのかどうか問題」のほうが考えてよっぽどワクワクする話である。おしまい。TL汚し失礼しました。 posted at 18:28:23

*追記(2012.9.15)

1857年、オリン・B・エディの報告。星の智慧派の者等、結晶体を見つけることにより召還をおこない、独自の言語をもちたりと。
(…)
1880年頃、幽霊の話もちあがる。(…)

ラヴクラフト「闇をさまようもの」)