そのとき彼を圧倒したのは、服を脇に放り投げた彼女の仕草への感嘆の気持ちだった。優美で無頓着なその仕草は、文化全体、思考体系全体を完全に無化するみたいに思えた。(…)それもまた古い時代に属する仕草だった。ウィンストンは「シェイクスピア」と呟きながら目を覚ました。


  シェイクスピア?なんの説明もないところがよい。


それは何にもまして彼の聞きたかったことばだった。一人の人間への愛情だけではなく、動物的な本能、単純な相手かまわぬ欲望、それこそが党を粉砕する力なのだ。(…)二人の抱擁は戦いであり、絶頂は勝利だった。それは党に対して加えられた一撃、それは一つの政治的行為なのだ。

一瞬、彼は激しい怒りを覚えた。彼女を知って一月、彼女に対する欲望の質が変わっていた。(…)行けないと言われたとき、彼は相手が嘘で言い逃れをしているような気がした。しかしちょうどそのとき、二人とも人ごみに押され、たまたま手が触れた。彼女は彼の指先をとっさに強く握りしめた。それは欲望よりも愛情を求めているようだった。すると、女性と暮らしていれば、ほかならぬこうした失望は繰り返し味わう普通のことなのに違いない、と思えてきた。そしてそれまで彼女に対して感じたことのなかった深い優しさが不意に彼を捉えたのだ。


  オーウェルのこういう心理描写が好きだ。わざとらしさや余計な説明のない、spontanな、そして正しい感情のうごき、軌道。優れた児童文学にみられるものだが。

サイムは間違いなく蒸発させられる、とウィンストンは再度思った。そこには一種の悲しみも混じっていた。もっとも、サイムが自分を軽蔑しており、すこし嫌っていることはよく分かっていたし、さらに、理屈がつきさえすれば、自分のことを思考犯として告発しかねないこともよく分かっていた。サイムには何かが微妙に狂ったところがあった。欠けているものがあるのだ――分別とか超然たる態度とか取り柄になるような愚かしさとか。

 ウディ・アレンみたいな人物を想像する。憎めない。